情報化社会のおそろしさ。

パソコン。それがこれまでの文明発達に果たした役割はどれだけ大きかったのだろう。今ではほとんどの家庭にパソコンが備えられていて、パソコンを取り入れない会社などほとんどないだろう。
僕もそのパソコンがある家庭のうちの一人だ。今ではパソコンを手にする前の生活など何一つ思い出せない。ただひとつ思い出せることは、チャットだ。思えばそれまで毎日友達と遊んだりしていたような気がする。しかし僕はチャットにはまってしまったのだ。
チャット。今ではチャットなど行く気にもならない。現実でも仮想世界でも僕はつまらない男のようで、会話が弾むことはおろか、なにを話せばいいのかすらわからない。だが当時の僕はチャットにはまっていた。むしろチャットに支配されていた。初めのころはまだよかったのだが、次第にチャットにはまるにつれて、友達に遊びに誘われても、それを断ってまで家に帰って、チャットをした。夜遅くまでずっとチャットをしてた。なぜあんなに、知らない人と話すことにはまっていたのか、今ではまったくわからない。当時の僕は話題の尽きない面白い人だったのだろうか。それとも、たんに、しらけるのが怖くなかったのかもしれない。
自己ショ。そんなことを言いながら、年や性別などを教えあっていた。次第にメールするような人も増えて、アドレス帳とかすごいことになっていた。毎日いろんなサイトのチャットへ行って、いろんな人へメールを返して、一日のパソコンの使用時間はすごいことになっていただろう。
だが次第にパソコンにも飽きてきた。ある日急に、チャットしたりメールしたりするのが面倒になって、すべてやめた。そのとたん、ろくに友達づきあいもしてない自分の存在に気づいた。思春期になっても友達らしい友達はできない。みんながサッカーとかお泊り会とかして親睦を深めているとき、僕は家でひたすらキーボードをたたいていたのだ。
そのお話の続きが、この今の僕だ。
パソコンがいったいなにを与えてくれたと言うのだろう。残ったものといえば、無駄にはやいタイピングくらいだ。そのタイピングさえも、持ち前の緊張しやすさのおかげで、もし検定なんかしたところで緊張しちゃって、指は少しも動かないだろう。そう、なにも残らなかったんだ。
これからも、ますますパソコンは普及していくのだろう。人々は情報に囲まれ、情報を得て成長したりするのかもしれない。だが、人は情報だけでは育たないのだ。たとえ円滑な人間関係の作り方を聞いたとしても、人とのかかわりを大切にしてきた人にはかなわない。人は人で育つのだ。このことを忘れないでいてほしい。


ところで今日僕が言いたかったことは、せっかくオナ禁してるのに、インターネットするとついついエロ画像探しちまうぜ馬鹿野郎ってことです。