ノーラブノーライフ。

僕って結局なんのために生きているんだろう。そもそも人間の生きる目的って?
それって「愛」じゃないかな。僕は実際、もう生きていたくなんかないけれど、僕が死んだら両親は悲しむ。だから自殺なんかしようと思わない。これは家族が死ぬまでずっとそうだと思う。でももし僕が両親に愛されてなくて、両親が僕のことを心から死んで欲しいと思っていたらどうだろう。もちろん僕も両親を愛していないことが条件だ。それなら首でも吊って死ぬんじゃないかな。愛が無いのになんのために生きていけというのか。つまり生きる理由は愛であるといえる。
僕においては人間関係とか苦手なのでその限りではないけれど、一般社会では恋愛したり、最終的に結婚したりする。それは生きる目的の延長上にあることで、すばらしい人生だったというんだろう。人間は愛なしじゃ生きられないと思う。
その愛は、人間相手にしか適用されないものじゃない。愛するものはペットだったりお金だったり二次元の世界のものかもしれない。それでも愛は愛。愛するものがあったり愛されていたりする限り、人間は生きていくことが可能だ。
でもまったく愛がない、という人もいるかもしれない。自分を取り巻く環境が憎くて、人が憎くて、何もかもが憎いと。その人はもう生きていない。死んでいるわけではないが、生きてもいない。また、すべてが憎いからと犯罪を起すような人は、自分のことを愛しているか、もしくは精神がいかれてしまってるのだろう。たとえば人を殺した場合、自分を含めて何もかもが嫌になったなら自分を殺せばいいのに、他人を殺すということは、他人よりは自分のほうが大切だということで、相対的に自分のことを愛しているということで、また、殺すのが楽しくて殺したというなら、それはただの狂気だ。
つまり人間が生きているということは、愛が存在するということだ。愛は人間の生きる原動力で、また人間を生に束縛する。
愛ほど厄介なものは無いね。