ゴミはやがて死を夢見る

ちょっと昔の日記読んでみたら若くてワロタ。
以前の自分というのはとても若く見える、っていう問題よりも、実際に若すぎるっていうのがあると思いました。これは……しかし高校生ではあるようですね? 僕ってば頭悪いんですね。こんなクソな文章よく書けたもんだ。
でも以前僕が思っていたことや感じていたことがよく伝わってきます。今となれば心から死にたいし死は最高に幸せなことだと心から信じていますけども、あのころの僕は、自分が死ぬのはやはり悲しいことだと思ってた節がありますね。若いなあ。これが自我の確立ってやつですかね? 死にたいというのが自我。自我なのに死にたいってワロス
しかし実際に僕の精神はそういう方向に変化していったわけです。そういう変化をたどった僕としては、以前の僕のような考え、つまり死が怖い、という考えをお持ちの一般人たちを軽視したくもなるものです。だって僕が高校生だった時分程度の精神というわけですからね? 圧倒的に進化した人類ですよ、僕は。


こうやって考えるのは楽しいですよね。自分は優れているんだって思えるわけですからね。でもまあ、わかってますとも。僕の精神がこう変わってきたのは僕が一般人と離れたところにいたからです。実際のところスタート地点ですでに僕は他の人よりはるかに劣ったところにいて、そのおかげで一種異常ともいえるような今の精神状態になったわけです。どうあがこうとも僕は一般人様には到底及ばない醜悪劣等な点にいるのですとも。だからこそ死にたい。僕に自由な自殺が認められないというのならそれは本当に非人道的ですよ。ま、人ですらないというのなら別ですけどもね。