チョコ食べたい

なんだかよくわかりませんが死にたい。僕はいったい何をしているんだろう。早く死にたいのに。そういえばレポートがある。バイトもある。学校にも行かなくちゃいけない。死ねばやらなくていいのに。死ねば働かなくていいのに。死ねば行かなくていいのに。死にさえすれば全部解決。僕にとっては何もかもがハッピーエンドなのに。
この死にたい気持ちはきっと焦りだ。なんとなく心が不安になる。すると今に焦る。明日に焦る。未来に焦る。生きているのが耐えられなくなる。死にたくなる。死んでしまえば楽なのにと思う。
違う! 俺たちには明日がある!
って。アニメやマンガにはこういうのってありがちですよね。まあ楽しく見たり読んだりしてますけど、やっぱり僕自身には明日なんてないと思うんですよ。夢も希望もないんじゃないかと思うんです。死ぬことは夢だけどそれって結局逃避に他ならないわけですし、たまたま逃避するのが僕の人生にとって最善だったというだけで、元はと言えばこんなものは夢じゃないですよ。希望だって大体ありません。漠然とした未来にはありませんし、すぐ間近に迫る未来、たとえば就職とかいったものにも希望なんて持てません。氷河期のFラン大学生に何が望めるっていうんですか。もちろんアニメやマンガだったらこんな状態でも夢をもって希望を捨てさえしなければいくらでも明日は開いていく――finとなりますが、仮にいいところに就職したところでその先に夢がない。ただ僕は死にたいだけです。死ぬのに努力は必要でしょうか。そんなものいるわけありませんよ。死は努力によって成し遂げられるものじゃなく、努力から逃避することで自然と向かうものです。ただ首を吊ればいいんです。でも僕は死ねない。僕はいろんな人の手で今の僕になった。そのいろんな人たちに何の断りもなく僕をやめることはできない――某アニメよりうろ覚え改悪引用。僕は死ねない。逃げるわけには行かない。「どうせ生きるのなら楽しく生きれるように努力すればいい」かもしれない。でもそれはもうやっているといえばやっているんじゃないかな。クソみたいなバイトしてお金稼いでDVD買ったりマンガかったりヤフオクで好きなキャラのグッズ落としたり。僕らしさを尊重しつつ楽しく生きるとすればこんなところだと思います。僕はよくやってるよ。でもやっぱり生きるのは苦しいと思ってしまう。それはそもそも「楽しく生きる」というのが欺瞞*1だからだと思う。人生っていうのは厳しくてつらくて苦しいものなんだよきっと。
というわけで死にたい。
先日も書いたような気がするけど、実は上のようなことがメタファーになってるマンガとか面白いんじゃないかな。うん。すごく例えが思いつきません。僕は何がいいたいんだろう。メタファーとかメメタァはどうでもいいのかな。ただ単に陰鬱な救いのない現実的なお話を読んでみたいのかも。そうかもしれんね。果たして面白いのかそれは。
そういえば、そういったものに近そうな題材にオタクがあると思って、じゃあオタクをテーマにしたマンガ買えばいいじゃんと思って「げんしけん」買ったのを思い出しました。なんかこう、どうせなら自分と意見の合いそうな娯楽を求めたくなるよね。しかしげんしけんはただのリア充マンガでした。あれを買おうとしている人は気をつけてください。マンガ自体は面白いのですが主人公がリア充ナチュラル鬱になります。そんな鬱さは求めてないんですよ。ただ現視研の部長(ひょろメガネ)を主人公として考えるとなかなかいい陰鬱救いのない現実的マンガな気もします。
ああ死にたい。
あ、爪切ろう。

*1:今やってるギャルゲでよく「欺瞞」と出てくるので使いたくなった。厨二らしい良い言葉だと思う。ただし意味はよくわからない。