さらさら落ちるフケのように夢もいつの間にか取りこぼされてゆく

レイプってすごく卑劣な行為じゃありません? これより卑劣なことってあるんでしょうか。レイプ犯はみんな死ねばいいんですよ。死刑でおk。
大体、償いようがありませんよね。窃盗なら物を返すなり代わりにお金を払うなり何らかの方法はあるかもしれませんが、レイプじゃあどうしようもないですよね。死刑にしたところで償えるわけじゃありません。
でもそもそも懲役って何を目的としてるんだろうとwikipedia大先生に聞いてみたら、「危ないやつは閉じ込めておいたほうがいいでしょ。それに被害者に復讐されてもやっかいだしね。みんな閉じ込められて不自由するのは嫌だろうし、労働もさせて苦しめるから、犯罪なんてするなよ?」ということだそうです。別に罪を償うとかどうでも良かった感じですね。罪を償いに行くっていうかペナルティを受けに行ってたわけです。わかりやすくていい。
まーみんな死ねばいいんですけどね。それ以外に幸福はありえないでしょうし。
でも現実的に生きていくとして、やはりそういう卑劣な人間は真っ先に死ぬべきです。うん? しかし結果的に考えると先に死ねてるわけでそちらのほうが幸せと考えることも?
これを踏まえて考えると、卑劣な人間以外が超自然的な力で苦しむことなく一瞬で同時にみんな死んで、たくさんの死体を前に卑劣な人間が生き残るような状況が最も良いのでしょう。なんというざまあ。


なまじ普通の人は、普通に生きているからこんなことにも気づけない。本質に気づけない。生きることの。
僕だってたまに思うことがある。もしさくらちゃんが存在して、僕のことが好きで、僕も彼女のことが好き、君と僕との子供が欲しい、と心から思えるんだったら、このクソみたいな人生を細々とやっていくやる気も沸いてくるだろうなって。それで幸せだなと思うかもしれない。家に帰れば人がいて、飯が出来てて、風呂も沸いてて、かわいい娘もいる、とか、そういう日常の一瞬に幸せを感じるかもしれない。けれどもそれもやっぱりまやかしなんだ。嘘みたいなもんだよ。ある一瞬に幸せを感じることは事実だったとしても、トータルでみればやはり悲しいことばかりだ。
でもそれでいいのか。別に悲しいことがたくさんあってもそれだけ幸せがあれば十分か。そんな気がしてきた。だってそれすごく幸せじゃん。なんだ。みんな死ねばいいって、それって結局僕の妬みだったのか? どんなに悲しいことがあってもその程度の幸せがあれば人間ってやっていけるんだ。人類始まって以来多くの人に支持されてきただけのことはある。愛こそすべてってやつか。All you need is love. 真の幸せは死ぬことで手に入る理論は愛のない僕の、僻みだったのか? 確かに正しいことだと思うのにな。なのにどうして、好きな人と一緒にいて、そこに子供が生まれるようなことがあったら、生きてみたいと思うんだろう。
まあどっちにしろ僕は結婚する気なんてさらさらないから、僕にとってはいつまでもみんな死ぬ理論が最強さ。意地でも結婚しないね。仮に結婚せざるをえなくなったとしても、子供だけは絶対に作らない。死んでも作らない。DNA抜き取られて知らないうちに子供が出来ていたとしたら僕の慈悲によっては殺しにいくかもしれない。そのくらいのやさしさはある。でもやさしさが行使されるかどうかはそのときのコンディションに大きく左右されるものだ。
ああ虚しい。死にたい。