モルってなによまじ。

そろそろ完全に授業においていかれてしまっているftemです。皆様ご機嫌麗しゅう。
僕がこうにも授業がわからなくなってしまったのには、集中力に欠けているせいだと思います。とりあえず黒板は写しているものの、授業が終わって3分もすればその授業で何をやったのか忘れているほどです。なんでそんな意識がどこかへいってしまっているのかと言うと、生活環境っていうか、なんかそういうのが密接にかかわってきているような気がします。授業中、本来先生の話を聞いているべきなんでしょうが、あの学校という空間にいくと、「人生ってなんだ」とか「友達がほしい」とか「どうすれば会話ができるのか」なんていうことばっかり考えてしまって、どうしても集中できんのです。そのようなことを考えないでいれるときは、たいてい眠たいときです。眠たいので思考力が働かずに、考えるに至らないのです。だからといって授業に集中できるわけでなく、授業終了のチャイムで目が覚めて、黒板写すことすらできなかったりと最悪の事態。ああ困った困った。
この状況をなんとか打破しようと、授業に集中するように取り組んでいるのですが、聞いても聞いても先生の話がぜんぜんわからない。時すでに遅し。特に理科と英語は壊滅的です。理解しようと考えれば考えるほど、いくら考えても理解できない自分に悲しくなります。
しょうがないので許可書を一からよんでがんばってみようとしたんですが、はじめのほうでまずわからない。きっとわからないから授業への関心が薄れていって、いつのまにかこんな事態になってしまったんだろうな、ってことに気づきました。そこで僕が提案するのは、教師と生徒との密接な関係。気軽に質問をできるような状況作りです。教科書を読んで理解できないといっても、僕だってここまでなんとか勉強してきた人です。根気強く教えてくれればわかるに決まってます。でも質問できる環境がなければ、根気よく教えてもらう機会もうまれない。これはこまったことです。
それなら授業中にでも質問すればいいじゃないか、それがいやなら授業が終わってから職員室にきて質問しろ、そう考えるかもしれません。しかしそれは難しいことです。授業中に質問しないのはなぜか。それは先生が怖いとかじゃなくて、自分のほかにたくさんの生徒がいるからです。そのたくさんの自分いがいの生徒は、生徒それぞれにプレッシャーを与え、質問をするのをひるませてしまいます。実際のところ、授業中でわからないところがあったら、みんな理解しようと必死に考えます。そう、知りたいのです。なぜそうなるんだ、知りたい。でもわからない。じゃあ質問するしかないが、今質問するのはちょっと…。だからといって授業が終わってからわざわざ職員室いって質問するほどのことでも…。これが問題。これの積み重ねでどんどんわからない場所が増えていくのです。生徒が授業中に先生に気軽に質問できる環境がどれほど大切なのか、おわかりになったと思います。
結論:勉強はしたいけど友達いなくてきついのでクラス制はやめませんか