はじめからやりなおし。

世界っていうのは僕なんじゃないでしょうか。僕が死ねば僕は世界を認識できなくなるんだから世界はなくなります。また、僕が世界を初めて認識したのは僕が生まれたときですから、いわば世界は僕と同時に生まれたようなもの。
つまり世界は僕。僕こそが世界です。
これはあながち間違ってることではないと思います。世界とは当人に依存するものです。僕にしてみれば世界なんていうのは限りなくクソなもので、もちろん僕も限りなくクソです。しかしイケメンヤリチンリア充野郎にしてみれば、世界は輝いていて、もちろん彼も輝いているのです。
何事も気の持ちようといいますが、気ではどうしようもない、個人の本質的な部分にまで世界は反映されます。
つまり僕のようにゴミ人間には、世界というのはいつまでもゴミであって、ハッピーエンドなんてありえない、ということです。一番になれないのなら、二番になればいい。ベターなエンディングは自殺にのみありえると思います。
こう考えていると、やっぱり自殺はアリなんじゃないかと思うことがあります。今すぐホームセンターに行って縄買って山行って首吊ればそれだけでいんです。知能ある人間として生まれてきたのならやはり幸せを望むべきではないかと。
いやないですよね。自殺はだめです。自殺がアリだなんて考えるのはただの甘えです。親からしてみて息子が自殺だなんて、それより悲しいことってありますか。そんなの虚しすぎます。
ああでも死にたい。どうにかならないものか。
そういえばこないだUFOを発見したとかNASAで言ってませんでしたっけ。宇宙人来いとか思った直後のことだったので、さすがに僕も胸が躍りました。やっぱり宇宙人はいるんですよ。多分長年続いてきた人類の営みもそろそろ終わりです。願えば叶うに決まってます。さあきてください宇宙人。そして地球をぶっ壊してください。僕が思うに、地球無くなればいいと思ってる人って結構いますよ。きっと。
ベントラー。ベントラー。