時はいつも流れ続ける。

この日記もなかなか続いているものだなあと気づく。果たして書き始めたころと今では、どちらのほうが死にたいと深く思っているだろうか。当初は、誰かに言うわけにいかないし、ネットの友達にも話せるようなことじゃないことを書いていこう、と思って始めたのだった。現に今もそうやって続いているわけだ。
今ここで、ネットの友達、という言葉が出てきたことに注意してほしい。実は僕、昔はネット上に友達がいたのだ。むしろ僕の人生を狂わせた、いや、人生にインターネットという救いを与えてくれたのは、そのネット上の友達だったといえるだろう。
僕が始めてインターネットの世界に入ったのは、まだ小学生の頃だった。それと同時に僕はチャットにどっぷりハマってしまった。
自分で言うのもなんだが、僕にはきっとタイピングの才能があったんだと思う。会話してるだけでも「打つの速いねー」なんて言われたりして、それだけで嬉しくって、タイピングの練習に余念は無かった。今思えば、あの頃からすでに僕には人に勝てるものは何も無かった。でもタイピングなら社会人にも勝てたりするんだから、そりゃもう楽しくてしかたなかったのだろう。
そうやって、すぐに学校から帰ってきて夜中までネットという生活が続くうちに、僕はあるサイトに出会った。そこで僕はネット上の友達を作ったのだった。
毎日狂ったようにそのサイトのチャットに行っては無駄話していた。正常な人間から見れば、すでにそのとき僕は終わっているように見えるのだろうが、僕の中で、その頃はいまだに黄金時代として輝いている。楽しかったなあ。
だがその黄金時代も、サイトの閉鎖という形で終わりをとげる。ひどい喪失感だった。ほかのそのチャットの住人も、僕と同じく絶望したことであろう。
そこで活躍したのがメッセンジャーだった。メッセンジャーを通して僕たちは再びチャットした。
しかしそのうち僕は飽きてしまったのだ。たとえネット上といえども、人間関係というものに。なんか死にたいなあ、と漠然に思うようになったあたりのことだろう。僕はログインしなくなった。
その後、僕は順調にオタクになり、昔のネットの友達とは疎遠になってしまった。あの頃の僕は無駄に輝いていた。だから、もうこんな風になってしまった僕のことなんて誰も見向きもしないだろうと思うと、ログインする気はいまだに起こらない。
でも本当は変わったことなんてなにもなくて、僕が自我に目覚めただけなのだろう。成長とは悲しいことである。


んでそのネット友達の一人なんだけど、サイト持ってるんです。きわめて陰ながら見守ってるんですが、最近もう僕と同じ方向に来てるみたいでワロス。ギターだとかアニメだとかラノベだとか。あのチャットには駄目人間予備軍が集まっていたのかなあと思うと笑いがこみ上げてきます。といってもまあ、音楽のセンスは僕より当然あるし、感性も僕より優れているんでしょう。さらにネット上とはいえ、友達が結構いるようで、コメント欄がにぎわってるようですけどね。まさかそんな米欄に書き込めるわけないですし。しにてえwwwwっうぇwっうぇえwwwww