間違えないのは難しい。

クラナド21話を見て、渚は考えすぎだなあと思った。
でも自分のことだと思って考えてみると、渚の気持ちも分かる。渚は、自分のせいで両親が夢を諦めてしまったことを大変気に病んでいる。でも夢を諦めた後も渚の両親は幸せそうにしているから、夢を諦めたことは残念なことだったけど、それはそれでいい結果に繋がったといえる。それでもきっと渚は悔しいんだろうね。そして悲しいんだろう。
自分のことだと思って考えてみる、と言ったけど、僕自身に関して言えば、渚よりもっとひどいことをした、いや、これからもずっとしていくといえるんじゃないだろうか。思えば、昔からうちのお母さんが愚痴を言ったり悲しい思いをしたりすることの起因となるものは、僕にある。お父さんに関してもそうだ。それでいて両親ともそれほど幸せだとは思えない。ほんと、渚よりずっとひどいことをしてる。今だってたくさんのお金を払って大学に入学させてもらうというのに、僕はその見返りを何一つ示せない。適当に卒業して、適当に就職して、生涯独身で、いつか死ぬ。孫の顔一つ見せてやることすらできない。うちの親は僕を得ることで、お金も幸せも霧散させてしまったようなものだ。
僕は死んだほうがいいというより、生まれてきたことがまず間違いだったのだ。なぜ僕が生まれてきたのか分からない――、そう思ってしまうことがあるけれど、実際のところはただの間違いだったのだろう。間違いは可能性としてありうるのだ。それに理由なんかない。
間違いはすぐに訂正されるべきだ。正されない限り、それはゆがみを生み、周囲に迷惑をかけ続ける。
でも僕にはわかる。僕が死んだらお父さんもお母さんも悲しむね、必ず。
僕がいたってなんにもいいことなんてないのに、僕がいなくなると悲しむだろうし、あまつさえ僕が元気でいられるように気遣ってくれさえしてる。矛盾しているとしか思えない。きっとこれも一つの間違いなんだろう。
僕には自分の間違いを訂正することができる。でも他の人の間違いによって、また新たなズレが生じて、僕は間違い続けることになってしまう。
僕は生来、間違ったものが好きじゃないんだ。小さな頃なんか、信号無視する人にすら内心激怒していたし、授業中に勝手に発言するようなやつは死ねばいいと思っていた。
なのに歳をとって少し脳がついてくると、僕自身が大きな間違いだったってことに気づくんだ。とんだ皮肉だよね。
早くこの間違いを正すことができる日がくるといいんだけど。